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卒業文集 作文

仰げば尊し尊し【ちゃお シニア映画ファン】

仰げば尊し尊し 前回文集からの続き

それでは私たちの町はどんなことがあったのでしょう。前記した作文のほかに、昭和57年同窓会にみんなに配られた同窓会誌「たつみ 再会号」幹事たちの座談会「俺たちの少年時代」を抜粋してみます。

たぶん入学して間もないころに記憶を話している部分でしょう

「最初に小学校のことを思い出すと、ウーン1年生のとき、二宮金次郎があって、玄関の右側で、あっこは大切な場所やった。」

「そや、それはな、もともと御神影がはいってたんや、御神影というのは天皇の写真でそのやかたがあって、それをくだいて二宮金次郎建てたんや。」

「その跡に温度計やら気象観測のもんやら一緒に大事なもの入れたった。それでその時分でもあそこは入るなということやったぜ。」

「けど、進駐軍に解体されたんやろ」

「それでも、周りの生垣は残ってて入るないうことやった」 (一同 深くうなずく)

「昭和22・3年ころやな」「それと1年生のとき、机が習字のできるように硯蓋がついていた」

「あれは、ずーとついとったぜ、2人並んでその間に硯がついていた」

「その時、自分の隣にいた女の子知ってる。あのとき始めて男と女を並ばせたんと違うの、それまではそんなことなかったと思うけど、君覚えてる?」

「ウーン、覚えてない、けどきっと最初やで近所の子やで」

「そう、でもこれくらい印象的なことやのに覚えてないなあ(みんな少し考える) ただ俺一番覚えてるには、たまたま1組、2組、3組に分かれただけやのに、クラス同士でよう廊下でケンカしてたで」

「あぁそや、それはそれぞれの組に偉いボスがおった。それで対抗していくクラス意識があったみたいや、今はないかも知れんけど。」

上記の座談会と作文が当時の1年生の状況を生き生き伝えてくれます。作文を見ると、
 
「戦争が終わったときだったので、学用品がたくさんなかったのでお父さんにかばんを作ってもらい、ぞうりぶくろはお母さんにつくってもらい、なにも今のような皮のかばんやぞうりぶくろはあたらなかったので、僕達の時はお父さんやお母さんは大変困られたと思います。」
 
「戦争が終わったときだったので」は戦争の中身より、ものがなくて親が苦労したなどという戦後の子供の感想です。ほかの作文にも、かばんやら筆箱(布製)履物(ぞうり、下駄)などを親が作ってくれたことを書いています。ものがないことがとにかく印象に残ったんでしょう。

 ほかには、「ランドセルを枕元においてねどこにはいった」

そして興奮して眠れなかったとの作文がありますが、ほんの少しの恵まれた仲間でした。私にはランドセルがなかったと記憶しています。


 この年、1年生の特徴はなんと言っても学校給食が始まったことでしょう。前記の作文には、給食について2人が違った印象を書いています 「一年生から給食があってお母さんらがくばって下さった。

休みの時早く学校になってほしいとおもった。」
「ミルクの給食が初まった。私は、ミルクが大きらいだった」
ほかにも「あたたかい給食がよばれる(*いただけるのは)のはたいへんうれしくおもいます。」
「給食は一しゅうかんにいっぺんおかずをして下さったのです。ぼくは家が近かいので持って帰って食べたりしていました。」

給食に関して書いている友達がいます。 はっきりいってそんなおいしいものではなかった、特にミルク(脱脂粉乳を溶かした)はもろもろしたかすが浮かんだりして飲みにくかったのを覚えています。

それでも、とにかく腹をすかしていましたので、食べられるだけで本当に嬉しかったのでした。
 
「休みのとき早く学校になって欲しい」とは切実な思いなのです。

学校なら何とか一食は食べれる、そんな貧しさを抱えた人が沢山いたのです、また 「給食は一しゅうかんにいっぺんおかずをして下さったのです。

ぼくは家が近かいので持って帰って食べたりしていました。」要するに一度に食べてしまうのが惜しいので、残しておいて持って帰って食べたのでした。
 
ただ、2年生くらいから、味噌汁とミルクを混ぜた給食は、これには本当に参りました、私は味噌汁のまめが残ったものが大嫌いだったことと、その味のなんともいいがたいまずさ、これには閉口いたしました。

では当時の学校給食がどうして決められていたのか、すこし見てみます。先日新聞で見たのですが、占領軍(アメリカ)が日本の子供のために食料物資を何にするか議論があったそうです。

アメリカの提供しようとしたのは、とうもろこしの粉だったか、麦だったか記憶がないのですが、今の厚生省と文部科学省ですか、その諮問機関、大学の先生やら医療関係者が協議をして、そのお一人がとにかく脱脂粉乳を主張して決まったそうです。

ココから私の世代が始まりました。


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